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東京高等裁判所 平成4年(う)166号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年及び罰金三億円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金六〇万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

理由

検察官の控訴の趣意は、検察官高橋武生名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、主任弁護人髙橋正八、弁護人小松正富、同帆足昭夫、同横井治夫連名の答弁書に、被告人の控訴の趣意は、主任弁護人髙橋正八、弁護人小松正富、同横井治夫連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官町田幸雄名義の答弁書に、それぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

各論旨は、いずれも被告人に懲役三年四月の刑を科した原判決に対する量刑不当の主張である。すなわち、検察官は、原判決は、検察官の求刑にもかかわらず、懲役刑に罰金刑を併科しなかった点において軽きに失し、不当であると主張し、弁護人は、原判決の科した懲役刑はその刑期の点及びこれに執行猶予を付さなかった点において重きに過ぎて、不当であるというのである。

そこで、原審の記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をもこれに加えて、原判決の量刑の当否を審査する。

第一  量刑の事情に関する事実誤認等の主張について

本件は、昭和四四年以降衆議院議員を勤め、同六一年七月から同六二年一一月まで環境庁長官の職にあった被告人が、自己の所得税の申告に当たり、株式等の取引による所得を一切申告せず、昭和六一年分から同六三年分までの所得税合計約一七億〇二八七万円を逋脱したという事案であるところ、弁護人は、原判決が量刑の事情として指摘している中には、以下のとおり、事実の誤認や事実に対する評価の誤りが含まれていると主張するので、まず、それらの点について判断する。

一  犯行の動機について

1  論旨は、まず、原判決は、本件株式売買益(債券等の売買益を含む。以下同じ。)が将来被告人の政治活動資金として使用される可能性を肯定した上で、政治資金と呼ばれるものの「多くが、選挙での票獲得という個人的利害に関わることに使われると考えられるのであって、このように個人的利害に関わる出費となれば、例えば、事業家が自らの事業欲を満たし、事業を維持拡大するため出費をする場合のように、それぞれの職業、階層の人々が個人的動機・利害から出費するのと基本的には変わりはない」、それ故、「政治資金確保のためという本件株式取引及び脱税の動機が存したとしても、それは、例えば事業家が不況に備えあるいは事業の拡張のため」簿外資金を蓄えた場合と比較して、それ「以上に、特別斟酌すべき事情には当たらない」旨説示しているが、政治家がその政治理念、政策を実現するためには国会議員として国政に参画することが先決であり、当選を得るための票集めには多額の資金を投入する必要があるから、このような票集めの資金は政治家としてのいわば必要経費であり、課税実務上も、後援会の維持・拡大などの票集めの費用は必要経費として課税対象外とされているのであって、その公的性格を否定し、政治資金確保の動機は斟酌すべき事情に当たらないとした原判決の判断は誤りであるというのである。そして、所論は、被告人は、将来必要経費として課税対象外となる票集めの資金を作るため、また、環境問題に関する政策研究グループを作る費用に当てるため、株式売買益を備蓄していたのであるから、これらの事情を量刑上斟酌すべきであると主張する。

2  所論が「必要経費」という用語を比喩的な意味で用いているのか、税法上の概念として用いているのか、いささか曖昧であるが、後者であるとすればその誤りであることは明らかである。

(一) すなわち、本件株式売買益は、所得税法三五条一項に定める「雑所得」に該当し、その金額(公的年金等の収入に係るものを除く。以下同じ。)は、「その年中の雑所得に係る総収入金額から必要経費を控除した金額」である(同条二項二号)。そして、同法三七条一項によれば、雑所得等の金額の計算上必要経費に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、「これらの所得の総収入金額に係る売上原価その他当該総収入金額を得るため直接に要した費用の額及びその年における販売費、一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用(償却費以外の費用でその年において債務の確定しないものを除く。)の額」とするものとされている。本件株式売買益についてみれば、有価証券取引税・支払利息・雑費(その内訳は、借入諸費用・振込手数料・有価証券売買諸費用である。)がこれに当たり、これらはすべて被告人の逋脱所得の計算上控除されているのである。所論票集め等の費用が、株式売買益を生ずべき業務、すなわち株式取引業務について生じた費用に当たらないことは、論を俟たないところである(なお、その他の雑所得として昭和六二年分に「原稿料五万五五五五円」、同六三年分に「雑収入(京央建物に対する貸付金利息)一一八四万八八三〇円」があるが、いずれも収入金額・必要経費は公表金額のとおり認定されており、ここで問題とする余地はない。)。

所論は、課税実務上、後援会の維持・拡大等、選挙での票集めの費用は必要経費として課税対象外とされていると主張し、証人堀越洋七及び被告人も当審公判廷においてこれに沿う供述(但し、いずれも伝聞に亘るもの)をしている。関係証拠上、果たしてそのような運用が現実に行われているかを確定する資料には乏しいけれども、政治家の雑所得等には様々な態様のものが含まれており、例えばいわゆるパーティ収入のように、当該所得を生ずべき業務が何であって、これについて生じた費用が何であるか判然としないものも多く、その収入・支出の実態を把握し、支出した費用の必要経費性を判断する上で多大の困難を伴うであろうことは容易に推認し得るところである。したがって、いわゆる政治資金として支出された金額について、その必要経費性を否認し、調査・査察に踏み切るだけの資料が得られない場合の多いことも察するに難くない(現に、被告人の場合にも、(a)党や派閥からの手当、企業や個人からの寄付金・恩借金、大臣就任祝賀会などのパーティ収入その他の収入及び(b)系列の県会議員・市会議員・後援会幹部に対する手当や祝儀、地方選挙の陣中見舞、大臣になるための運動費その他の支出のあったことが窺われるが、その詳細な金額や収入・支出の対応関係が明らかでないため、収入・支出とも起訴の対象外とされている。)。しかし、それは、政治資金の実態を補捉し難いという証拠収集上の困難を意味するだけであって、およそ政治資金と名が付けば当然に課税対象外とするような解釈ないし運用が行われているものとは到底思われないし、そのような運用が司法の場において是認されることはあり得ない。以上に対し、雑所得であっても、株式売買益の場合は、取引主体が政治家であると否とに関わりなく必要経費の範囲は極めて明確であって、そこにいわゆる政治資金の入り込む余地はないのである。

(二) のみならず、所得の計算においては、収入及び費用とも当該年分を基準とするのが原則であって、翌年分の費用の見越計上が許されるのは、ごく例外的な場合に過ぎない。そのことは、法文上だけでなく、課税実務上も明らかである。すなわち、課税実務上、所得税法三七条一項所定の「売上原価その他当該総収入金額を得るため直接要した費用」とは、別段の定めのあるものを除き、「その年において債務の確定しているものに限る」とされ、右債務の確定しているものとは、その年一二月三一日までに「当該費用に係る債務が成立していること」、「当該債務に基づいて具体的な給付をすべき原因となる事実が発生していること」、「その金額を合理的に算定することができるものであること」の要件のすべてに該当するものをいうのである(所得税基本通達37―1、37―2参照)。

したがって、「将来、政治活動の費用に充てる予定の金額」などが当該年分の必要経費に含まれる余地のないことは明らかである。原判決は、票集めのための費用が「個人的利害に関わる」点を強調し過ぎている嫌いがあるが、個人的利害に関わるものであろうと公的性格のものであろうと、翌年分以降の支出に備えた資金の蓄積が当該年分の必要経費に当たらないことに変わりはない。それ故、これらを申告から除外した脱税の動機が政治資金の確保にあったとしても、それが翌年分以降の支出に充てることを目的とするものである限り、それは「例えば事業家が不況に備えあるいは事業の拡張のため」に将来の支出に充てる目的で簿外資金を蓄積したという場合と選ぶところはないから、それ以上に「特別斟酌すべき事情には当たらない」とした原判決は結論において相当であり、むしろ当然の事理を述べているものというべきである。

3  以上のとおり、所論のいう「政治資金」とは、「将来、政治家となるために、あるいは政治家であり続けるために、必要な資金」ではあっても、税法上、課税所得である本件株式売買益から控除されるべき「必要経費」ではないことを論証した。それは、本来、納税義務を履行した上で税引き後の所得から支弁すべきものである。それにもかかわらず、所論は、右のような「政治資金」を確保する目的で脱税した場合には、情状の上で特段の配慮をすべきであると主張するのである。

そこで、脱税の動機ないし目的が政治資金の確保にある場合と、その他の場合とで情状に差異を生ずるか否かについて検討することとする。

(一) 動機、目的がどのようなものであろうと、個人がその所得を蓄積すること自体は税法上何ら非難されることはない。また、正規に得た蓄財をどのような用途に充てようと、個人の自由である。仮にこれを犯罪的用途に供したり、不道徳な出費に充てたりすれば、他の法律で処罰され、又は道義的非難を浴びることとなろうが、税法上の非難をうけることはない。

問題は、偽りその他不正の行為により、課税所得を秘匿し、所得税を逋脱した場合であり、この場合には、国家の課税権に対する侵害、租税負担の公平性に対する侵害、憲法で定められた国民の納税義務の違反に対し、税法上の非難が加えられる。それは、蓄財の使途、目的に対する非難ではなく、蓄財に現れた担税力に相応する納税を怠ったことに対する非難である。したがって、正規に得た蓄財の用途が自由であることと表裏の関係において、脱税で得た資金の使途がたとえ公的なものであろうと、そのことの故に脱税の違法性や責任が格段に軽減されることはないのである。それ故、脱税の動機、目的が政治資金の確保にあったという事情は、脱税事件の特別の情状となるものではなく、単に被告人の人格態度の現れとして、一般的な情状の一つに数え得るに過ぎないものというべきである。

(二) また、原判決も指摘するように、政治資金といわれるものには、「政治家本来の活動である政策研究調査立案のための資金」から「後援会の維持拡大や選挙地盤の確保強化のための、言い換えれば選挙での票獲得を目的とした資金」に至るまで、多種多様な性格、内容のものが含まれている。原判決のように、前者を「公的活動に費やす資金」、後者を「個人的利害に関係する資金」と呼ぶことの当否はともかく、両者の間に顕著な性格の差異があることは確かである。けだし、前者が政治家本来の活動のためのまさしく「政治資金」と呼ぶにふさわしいものであるのに対し、後者は政治活動の可能な立場に身を置くための資金であって、政治活動そのものからすれば、予備的・間接的な関連を有するに過ぎないからである。したがって、仮に政治資金確保の目的が量刑上何らかの斟酌に値するものとしても、いわゆる政治資金なるものの大半を占める後者については、これを斟酌すべき度合いは低いものといわざるを得ない。所論は、「票集め」の公的性格を強調するが、本来の政治活動との関連からいえば、所詮は二次的な性質のものであり、原判決はそのことを指摘しているのである。選挙の公的性格をいうのであれば、むしろ、選挙のための資金は出所のクリーンなものでなければならないことこそ、強調されなければならない。脱税して蓄積した資金で当選を勝ち取ることが果たして選挙人を欺くことにならないか、この際、深く思いを致すべきであろう。

(三) ちなみに、証拠関係上の問題として、本件株式売買益が、果して所論のようにもっぱら政治資金確保の目的で蓄積されたものであるかについても、疑義なしとしないことを付言しておく。

すなわち、本件株式取引の資金は、起訴期間前(昭和五九年当時)のごく一部を除いて、被告人が手配した銀行や証券金融会社等からの借入金によって賄われ、借名口座の開設、株式売買の注文、証券会社に対する売買代金の入出金の操作の指示は被告人が行い、売却代金は被告人自身が管理運用していたものであり、昭和六三年秋ころまでは、秘書や政治団体など被告人の政治活動に関わる関係者の関与がまったくなかったといってよい。このような状況からすれば、本件株式取引益の蓄積がもっぱら個人資産の形成に向けられていた疑いは濃厚であり、政治資金に充てる意図が併存したとしても、それは、原判決も指摘するように、「被告人の本件株式取引や脱税が、個人的蓄財を意図して行われたものであったとしても、その蓄えられた資産が、将来とも政治資金として使われることが何ら考えられていなかったとはいえず、被告人が政治家として一層活躍し飛躍を遂げるため将来使うことを、念頭に置いたということも肯定される」という程度にとどまるのであって、所論の如く、そのすべてが将来の政治資金を確保する目的であったとは、到底認めるに由ないものといわざるを得ない。所論環境問題に関する政策研究グループを作る話にしても、これに沿う被告人の供述が極めて抽象的なものに過ぎず、被告人やその周辺にこれを裏付けるような動きがまったく窺われないことに照らせば、具体性・実現性に乏しい単なる思いつきの域を多く出るものとは思われず、仮に、真実そのような構想を実現する意図があったものとすれば、何故、せめてその分だけでも政治資金規正法(平成四年法律第九九号による改正前のもの)の適用を受ける政治団体の資金として処理する途を選ばなかったのか、理解に苦しまざるを得ない。

(四) この点につき、所論は、本件株式売買益の大部分は株式取引に再投資され、政治資金の増殖に当てられており、一部は関連会社に対する貸付金に当てられたが、これは一時流用であって、回収後は政治資金に充当する予定であったなどと主張するが、これらの行為自体は蓄積した資金の運用ないしは利殖の手段に過ぎず、これによって当該資金の使用目的を推認するに由ないところ、右(三)に説示したような管理運用の実態に照らしてみると、被告人に右運用・利殖の成果のすべてを政治活動のための資金に投入する意図があったものとは到底認め難い。

また、所論は、残りの二割程度は必要が生じた都度各種の支払いに充てていたのであるが、そのうちの約二億五八〇〇万円は政治資金に充当したと推定されるし、それは課税実務上は必要経費と認められるのであるが、事柄の性質上、領収証を入手できず記録も残されていないので、その明細を立証することは事実上不可能であることから必要経費性の主張、立証を断念せざるを得なかったのであるという。

被告人は、検察官に対する平成二年一二月二五日付供述調書において、大略《いわゆる政治資金の収支については、昭和六〇、同六一年は寄付、恩借金等の収入が支出を上回っており、株式売買益をこれらの支出に充てたことはなかった。同六二年は、大臣就任祝賀会のパーティ収入が一億円余りあり、このうち九〇〇〇万円は定期預金にした。支出は、前年分からの寄付金、恩借金の残りで賄った。株式売買益からも一部は出している。また、その年に、株式売買益から一億一〇〇〇万を恩借金の返済に回した。昭和六三年は活動を休止しており、休養期間であったので収入も支出も少ない。前年までの残りや株式売買益で賄ったが、いずれにせよ大した額ではない》との趣旨の供述をしている。

これに対して、証人堀越洋七は、原審及び当審公判廷において、昭和六一年から同六三年までの株式売買益のうちの使途不明金中、約二億五八〇〇万円は実際は政治活動に費消されたと供述し、被告人も、原審公判廷においてこれと同旨の供述をしている。

右公判段階の供述は、所論自体も認めるように、領収証やその他の記録によって裏付けられているわけではなく、きわめて具体性を欠くものであるから、前示の被告人の捜査段階の供述と対比してたやすく信用し難いところであるが、仮に、所論のような目的に使われたという実態があるにしても、それが本件株式売買益の「必要経費」となるものでないことは、さきに2の(一)に詳論したとおりである。

二  本件に至る経緯ないし犯意の程度等について

1  論旨は、原判決が「本件は、株式取引による巨額の利益の確保を目的として、当初から脱税をもくろんだ意図的な犯罪である」と断定しているのは、本件に至る経緯を誤認したものであるとし、本件において取引名義を多数の個人に分散する方式をとった最大の理由は、「政治団体が大量の株取引をしていることが判明すると有権者の非難を浴びて選挙に悪影響を及ぼすので、それを避けるため」であり、脱税をもくろんだからではない、もし、被告人が株式売買益に対する課税を回避することを第一義的に考えていたとすれば、課税の対象とされない政治団体の取引にしていたはずであり、そうしなかったのは、被告人が常に選挙を念頭に置かなければならない政治家の立場にあったからである、そして、多数の個人名義が非課税枠内に分散されているのは、被告人が周辺の人達のやり方をまねたものであり、従前、政治家の株式売買益には課税されていなかったこともあって、感覚が麻痺し、実情に甘えてそのようなやり方を続けていたものであって、被告人の犯意は軽微であるといっても過言ではなく、この点において、原判決は本件に至る経緯を誤認し、犯意の程度、内容について誤った判断をするに至った、というのである。

(一) まず、被告人の検察官に対する平成二年一二月二四日付供述調書二通(〈書証番号略〉)等の関係証拠によれば、被告人は、株式売買益などの有価証券譲渡益に対する課税の仕組みについて充分に知悉しており、中には結果として一名義分で非課税限度枠を超えてしまった場合があるとはいえ、取引に当たっては二〇数名の秘書や親族の名前を借りて非課税枠内に納まるよう周到に配慮し、殊に、昭和六三年に入ってからは、売買回数、売買株数等に関し限度枠の改正があったため、従前にもまして課税要件を意識していたことが認められるのであり、このような認識を有しながら、一方、株式売買益についてまったく申告していない(一名義分で非課税限度枠を超えてしまった場合でも、当該名義人の名前で申告したという節もまったく窺われない。)ということ自体が、被告人の犯意を雄弁に物語っているものというべきである。

(二) また、もし、所論のように、政治団体が大量の株式取引をしていることが判明すると有権者の非難を浴びて選挙に悪影響を及ぼすというのであれば、政治家個人で大量の株式取引をしていることを公表した場合は有権者の一層強い非難を免れず、政治家としては致命的打撃を受けることとなろう。したがって、個人の取引にするということは、同時にそれが被告人自身の取引であることを秘匿する工作を伴わなければ、意味がない。換言すれば、右取引によって売買益が出ても、これを被告人の所得として申告することは予定されていないということであり、これはまさに脱税を意図していたということにほかならない。

(三) 更に、所論は、被告人が株式売買益に対する課税を回避することを一義的に考えていたとすれば、課税対象とはされない政治団体の取引のままにしていたはずであるという。しかし、後にも触れるように、被告人は税理士の剱持昭司から「政治団体の株式取引であれば非課税になる」と聞かされてからにわかに政治団体の取引である旨強力に主張するようになったという経緯があるのであり、果たして当初から政治団体の取引であれば非課税であるということを知っていたのか疑わしい上、もし、知っていたとしても、団体で取引するか、個人で取引するかの選択の余地がある中で敢えて個人での取引を選択したからには、それが個人の課税所得となることを甘受すべきはずであるのに、記録を検討しても、被告人には、起訴にかかる昭和六一年から六三年にかけて及びその後の平成元年においても、自らの名において納税義務を履行しようとする姿勢はまったく窺われなかったのである。

このようにみてくると、被告人には政治団体が大量の株式取引をしている事実が公になることを避けるという目的があったとしても、それと同時に、本件は「当初から脱税をもくろんだ意図的な犯罪である」との評価も妥当するのであり、原判決の右説示は十分に首肯し得るところである。

2  所論は、昭和六三年分の逋脱の犯意については特に酌量すべき事情があるとし、昭和六三年分の所得税確定申告期限は平成元年三月一五日であったが、それまでに、被告人の指示に基づき堀越秘書らが昭和六三年分の取引明細の一部を調査した資料を国税当局に提出していたので、被告人は、堀越と協議の上、昭和六三年分の取引判明分だけでも確定申告をしようとしたところ、剱持税理士から「国税当局が検討中なので、その結果を待って対処するように」との指導を受けたため、これに従い、昭和六三年の取引明細判明分についても確定申告しないままにしたのである、という。

堀越の原審供述ならびに被告人の原審及び当審供述中には、右所論に沿う部分がある。しかし、その余の関係証拠を総合すれば、被告人が昭和六三年分の確定申告をするに至るころまでの経緯及びその後堀越名義で期限後申告しようとした事情に関し、以下のような事実関係が認められる。すなわち、

① 被告人は、一〇数年前から、当時国会職員であった同郷の倉持榮に確定申告書の作成と提出を代行してもらっていたところ、同人は、数字については、被告人から口頭で説明を受けたり、簡単なメモを渡されたりしてそれに基づいて確定申告書に記載していたが、これまでに被告人から株式売買益についてのメモを渡されたり、説明を受けたりしたことはない。

② 昭和六三年一月下旬から二月上旬にかけて、それまでに被告人が株式の相対取引で使用した各名義人に対して、それぞれの所轄税務署から、「有価証券の譲渡内容についてのお尋ね」と題する書面が送付され、更に、そのころ、新聞等で、他の代議士が家族等の名義で行なった株式売買益につき税務当局から指摘されて修正申告をした旨の報道がなされたことから、心配になった被告人は、自己のペーパー・カンパニーである京央建物に関する確定申告を依頼している公認会計士に相談したところ、被告人自身で申告しないと脱税になるから、申告するしかない、と勧められた。

③ しかし、被告人は、環境庁長官在職中に相対取引で多額の利益を得たことが世間に知れるとマスコミ等から非難され、政治生命が危うくなりかねないと考えて、あくまでも自己の取引であることを隠蔽することとし、昭和六二年分の確定申告に当たっても、株式売買益は一切申告しなかった。

④ 被告人は、相対取引はすべて各名義人の取引であるとして、各名義人らに前記「お尋ね」の回答を出すよう指示したが、相対取引に際して、契約書に名義人と株数を適当に記載していたため同一名義人の買付株数と売付株数が一致しないこととなり、各名義人の取引であると主張し通すことが困難と分かったので、堀越と相談の上、結局、堀越が被告人の政治活動資金を作るためにその一存で取引を行って利益を得た上、被告人の政治活動費用に充てたり、政治団体に寄付したりして費消してしまったという主張をすることとした。

⑤ 同年三月中旬ころ、被告人は、自ら東京国税局に赴き、前記「お尋ね」に対する回答書及び株式売買益は全額を被告人の政治活動費に費消した旨記載した書面を提出した。

⑥ その後、同年八月に至り、相対取引を共に行なっていた友人である医師山口明志が所得税法違反で東京国税局の調査を受けたため、被告人は自分自身の取引についても不安になり、熊本国税局長を退職直後の税理士剱持昭司の紹介を受けて同人に相談することとした。そして、剱持から「政治団体の取引であれば非課税になる」旨の教示を受けると、同人に対して税務当局ともそのような線での折衝をすることを依頼し、それとともに、株式取引が政治団体の取引であるように装うため、同年一〇月ころから、各証券会社に新たに自己の政治団体名の株式取引口座を開設し、従前の借名口座での取引のうち利益が出ているものを順次売却しその売却代金を新設した政治団体名の口座へ移し、また、同年一二月には、従前の株式売却代金のうち、関連会社の不動産購入の手付金に費消していた分について、右会社が金融機関から融資を受けその中から被告人に返済した形を取り、これを政治団体名義で預金し、更に政治資金規正法上の収支報告書の記載の訂正をするなど、あたかも、株式売却代金がもともと団体のものであったかのような工作をした。

⑦ 同年一一月ころ、被告人及び剱持は、東京国税局に赴き、《株式取引は政治団体が行なった。原資は政治団体から出ている。政治団体に帰属する株式売買益の中から一七億四四〇〇万円を政治活動費に費消した。ところが、堀越が団体の資金の一部を流用して株式取引を行ない、約一億九〇〇〇万円の利益を得ているので、別途同人が申告する》旨を記した書面を提出した。被告人の納税地が栃木県足利市であり関東信越国税局管内であることから、同局で対応してもらうよう示唆されたため、同年一二月、両名は関東信越国税局に赴き、同様の書面を提出して説明した。また、そのころ、被告人は、堀越名義で申告させる準備として、堀越に、当時、堀越が居住していた千葉県市川市では高額所得者が少なくて目立つということから、住民票を東京都品川区に移させた。

⑧ 被告人は、昭和六三年分の所得税確定申告について、それまでと同様に、倉持榮に作成提出方を依頼し、同人において平成元年三月一四日付けで足利税務署長宛て提出しているが、被告人が秘書らを動員して被告人の株式取引の詳細を調査したのは、主として平成元年二月から七月にかけて、特に六月から七月にかけてのことであった。

⑨ 平成元年五月、前記山口が株式売買益に関し所得税法違反で告発された旨の新聞報道がなされ、それに関連して、被告人の相対取引分に関しても報道されたが、その際の新聞記事中においても、仕手株の売買について、「株の運用をはじめ、政治活動に必要な費用については、一切秘書をしている義弟に任せているが、聞いていない」旨、仕手株売買で約一〇億円の売却益をあげたのではないかとの問いに対しても、「とんでもない。義弟に一切ハンコを預けている。義弟に聞いてみないとわからない」旨、株の運用全体に関し、「政治団体の責任者でもある義弟に任せて株の運用をしてきた」旨の被告人のコメントが付されている。

⑩ 被告人は、右の直後の同年六月、前記の報道の影響などを考えて、山口との関係で明るみに出た相対取引関係分についてだけ堀越名義で申告することを意図し、これを剱持を通じて国税当局に伝えた。

⑪ 同年六月、被告人は、堀越に対して、新聞等に報道された相対取引分を堀越名義で申告をする準備として、同人の住民票を、前記の東京都品川区から、折衝の窓口となっている関東信越国税局管内の埼玉県川口市に移させた。

以上のような事実関係を踏まえて、昭和六三年分の確定申告期限である平成元年三月一五日前後の状況について考察すると、被告人は、主として昭和六二年分以前の株式取引についてではあるが、これを政治団体の取引であると主張し、それに見合ったように取引口座を政治団体に移し、政治資金規正法上の収支報告書を訂正するなどの工作をし、一部個人の取引があってもそれは堀越が独断でやった取引であるなどと主張して、堀越名義での申告を画策している最中であり、他方、昭和六三年分の株式売買益についての調査も進捗しておらず、その実態を把握するに至っていたかきわめて疑問であるのみならず、次項でみるように、後日、国税当局から被告人の個人所得として申告するよう指導されてすら、なお、申告名義を堀越とすることや、申告時期を総選挙後とすることに拘泥しているのであるから、たとえ剱持の所論指導がなかったとしても、被告人に、特に昭和六三年分の株式売買益に関してだけ、確定申告期限までに被告人自身の所得として申告する意図があったものとは到底認められず、同年分の申告漏れをもっぱら剱持の指導の責めに帰する所論には、たやすく左袒するを得ない。

三  国税当局の対応などについて

1  論旨は、原判決は、国税当局の対応に関する原審弁護人らの主張に対し「むしろ、被告人側において、被告人自身の脱税であることを秘し罪を免れるため、秘書の株式取引であるとか政治団体の株式取引であると主張し、それを受け入れてもらうためあれこれ工作し、自ら積極的に資料を作成するなどしたものであり、国税当局としては被告人側のそうした主張を自主的なものとして受け入れざるを得なかったのであるから、特に国税当局の扱いに不当な点があったとはいえない」旨判示してこれを排斥したが、右判断は国税当局との折衝の経緯、内容を誤認したものであり、その誤認の最大の理由は、被告人が自ら多岐にわたる本件株式取引の事実関係の全容を多大の費用と人員を投入して半年間に亘り調べ上げ、その調査の結果を所轄国税局である関東信越国税局に提出して相談し、その指導を仰いだという事実を看過している点にある、と主張する。

すなわち、所論によれば、たしかに剱持税理士が関与した当初は、原判決指摘のような経緯がみられたが、被告人は、秘書数名を動員して自主的に取引内容を調査した結果を資料として関東信越国税局に提出した段階では、すべての取引内容と資金の動きを一切包み隠すことなく明らかにして国税当局の検討に委ねたものであり、その結果、国税当局から、相対取引分の売買益約一〇億七〇〇〇万円を被告人の所得として申告するよう指導を受けたので、そのうち約二億四〇〇〇万円を政治団体の取引と認めてもらい、また、近くに予定されていた衆議院議員総選挙に対する影響を考えて、総選挙後に堀越名義で申告することを希望し、当局の了承を得た上、選挙直後の平成二年二月に申告・納税したところ、検察当局の見直し捜査を受けて既に申告納税を済ませた分までも含めて今回の起訴に至ったものであり、当時、国税当局が調査を尽くして正当な指導をしていれば、このような苛酷な結果を招来することはなかったので、これらの経緯は本件の特異な情状として特に酌量されるべきである、というのである。

(一) しかし、右主張自体から明らかなように、所論申告・納税は、昭和六一・六二年分の所得についてはもとより、同六三年分の所得についても、被告人において所轄税務署長に対し虚偽過少の確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させることにより、各年分の所得税逋脱の犯罪が既遂に達した後のできごとである。

したがって、それは、あたかも財産犯における被害弁償と同様、犯行当時に遡って犯罪そのものの成立範囲や犯情に直接消長を及ぼすものではなく、犯罪によって生じた被害を事後的に償うことによって情状の緩和を図るものに過ぎない。しかも、本来、逋脱した税額は、犯人が自主的に申告(修正申告又は期限後申告)・納付しない場合であっても、更正・決定により一方的に賦課され、かつ、納付を怠れば強制的に徴収されるべき性質のものである。してみると、修正(期限後)申告・納付の事実は、客観的に損害が回復されたという点よりは、むしろ主観的な反省の証しとして、強制的手段を待たず、自主的に損害回復に協力したという点に重きをおいて、量刑上評価すべきものである。

このような観点からすれば、次にみるような経過の下で、逋脱所得の一部につき、第三者の名義を用いて期限後に申告・納税に及んだ行為を被告人の反省の現れと評価することはできないし、また、そのような処理を事実上容認したに等しい国税当局の対応についても、少なくとも被告人の側においてその非を主張できる立場にないことは明らかといわなければならない。

(二) すなわち、関係証拠によれば、(a)前記二の2の⑦までのような経過の後、被告人は、秘書数名に命じて、平成元年二月から七月にかけて(殊に六月から七月にかけては、ホテルに泊り込みをさせるなどして)、昭和六一年分ないし同六三年分の株式取引の内容と資金の動きを調査し、その結果を逐次所轄の関東信越国税局に提出したところ、平成元年一一月ころ、直税部長から剱持税理士に対し、提出された資料でみる限り、少なくともコーリン産業との相対売買分とこれと同時期における国際航業株の市場売買分合計約一〇億七〇〇〇万円については被告人個人に帰属するものといわざるを得ない旨の見解が表明され、併せて、当局が調査した訳ではないので、これで申告を是認するということではないし、当局が指導した訳でもない、自主申告だから実態のわかっている被告人側の判断で申告して欲しいと念を押されたこと、(b)剱持がこれを被告人、堀越秘書、小峰秘書同席の場で伝えたところ、被告人は「私の名義で申告したら大変なことになる。堀越の名前で申告してください」、「堀越名義で申告するのも、申告書の提出時期は総選挙が終わってからにしたい」などと発言し、小峰秘書らは、右一〇億七〇〇〇万円のうち、株式売買資金を被告人名義で借り入れた分を政治団体の取引とし、被告人の個人取引を八億三〇六五万八七九六円とするA案、被告人名義及び有限会社京央建物の名義で借り入れた分を政治団体の取引とし、被告人の個人取引を五億六七九二万八九二〇円とするB案(剱持昭司の検察官に対する平成二年一二月七日付供述調書に添付の資料三)を策定し、被告人も、その案で当局と折衝するよう剱持に依頼したこと、(c)平成元年一二月上旬ころ、剱持税理士は、小峰秘書を伴い当局を訪れ、担当主査に被告人側の意向を伝え、右資料を提出して検討を依頼したところ、同月中旬ころ、直税部長から剱持税理士に対し、京央建物の借入分まで外すというのは到底筋が通らない、あくまで堀越名義で申告するというなら、自主申告だから受理は拒めないが、それで申告の名義や内容を当局が是認したことにはならない、また、堀越名義で申告する理由を被告人の名前で提出するようになどと告げられたこと、(d)被告人と堀越は、八億三〇〇〇万円余を堀越名義で申告するよう剱持税理士に依頼したので、同税理士は、右株式売買は堀越の取引である旨を記載した内容虚偽の被告人名義の申述書(前掲供述調書に添付の資料四)の案を作成し、被告人の同意を得て清書の上、同月二七日これを直税部長に預けておき、更に、総選挙後の平成二年二月二〇日、堀越において、同人名義で所轄西川口税務署長に対し、昭和六一年ないし同六三年の三年分の所得税の期限後申告書(〈押収番号略〉)を提出し、被告人の負担で即日納付手続を取ったこと(ちなみに、右各申告書には、堀越自身の給与所得のほか、総合課税の短期譲渡所得(株式)として、昭和六一年分二七九〇万八二四七円、同六二年分七億六一三七万二二二二円、同六三年分四一三七万八三二七円の記載があり、その合計額は前記A案と等しい八億三〇六五万八七九六円である。)が、それぞれ認められる。

以上の次第であって、被告人は、なるほど平成元年二月以降秘書らを動員して株式取引の内容や資金の動きを調査し、その結果を関東信越国税局に逐次提出した段階では、所論のとおり調査結果を包み隠さず明らかにしたものとしても、それと併行して、本件株式取引が政治団体に帰属するとの従来の主張はなお維持しており、当局から、少なくともそのうち約一〇億七〇〇〇万円は被告人個人に帰属するものといわざるを得ない旨を指摘されても、剱持税理士を通じ、その範囲を更に圧縮することに腐心する一方、終始一貫して個人取引分は堀越名義で申告するとの態度を固持して譲らず(更には、その申告時期を総選挙後とするとの条件まで持ち出している。)、これらの主張を受け入れてもらうため資料を提出しているのであるから、所論引用の原判文前段の説示には何らの誤認もない。しかし、国税当局としては、被告人の税務相談や資料提出を契機として、本件株式売買益の全容を解明するため調査・査察に着手することができなかったものとは考え難く、調査着手前の自主申告であることを理由に責任回避どもみられるような態度に終始していることには、一般納税者の立場からすれば割り切れないものが残る。それ故、原判示中「国税当局としては被告人側のそうした主張を自主的なものとして受け入れざるを得なかったのであるから、特に国税当局の扱いに不当な点があったとはいえない」とする見方にはにわかに賛意を表し難い。しかしながら、それは、現時点で事態を客観的に観察した場合の評価であって、国税当局がそのような態度を採らざるを得ないように仕向け、自己に有利な主張を事実上受け入れさせた被告人の側から国税当局の対応を非難するのは、顧みて他を言うものというほかない。前示のような経過からすれば、仮に国税当局が、本件株式売買益はすべて被告人に帰属する旨の指導をしたとしても、被告人がこれに応じて、本件逋脱所得全額につき、被告人の名義で修正申告する意思があったものとは到底認められないところである。

2  所論は、前示堀越名義での申告は、実質上被告人の納税であるところ、この点まで起訴されていることを本件の特異な情状として特に酌量されるべきであるという。

しかし、前項で指摘したとおり、堀越名義での期限後申告は、昭和六一年分ないし同六三年分の被告人の所得につき所得税逋脱の犯罪が既遂に達した後になされたものであって、逋脱犯成立の範囲に何ら影響を及ぼすものではないから、その全部につき公訴が提起されたのは当然のことである。そして、犯罪後の情状としても、第三者名義による納税申告は、納税義務者本人の納税申告として、その納税義務の確定という公法上の効果を生じないから(最高裁昭和四六年三月三〇日第三小法廷判決・刑集二五巻二号三五九頁等参照)、これを被告人自身による修正申告と同様に評価することはできない。たしかに、堀越名義による納税資金は全額被告人が拠出しているが、本件起訴後還付されて被告人の納税に充当されているのであるから、被告人が二重の負担を強いられているわけではない。むしろ、本件においては、前示のとおり、被告人に帰属する所得である旨の判断を示されながら、あくまで自己名義による申告を回避することに拘泥し、堀越名義での申告を強行した被告人の対応の方が、情状として見逃せないところといわなければならない。

四  逋脱所得金額の計算について

所論は、本件逋脱所得金額は、課税計算上の金額であって実際の利得金額ではない。それ故、被告人は事実上過大な税負担を強いられている、と主張する。

1  すなわち、所論によれば、本件株式売買益は、各年分ごとに、期中売却高から期首在高と期中買入高とを差し引き、期末在高を加算して算出したものであるところ、期首・期末在高はいずれも総平均法によって算出した平均単価によるものであって、時価ではない(所得税法四八条一項、同法施行令一〇八条、一〇五条一項一号参照)、例えば昭和六三年の北陸製薬株七万七〇〇〇株の期末在高は、国税局調査額によれば単価五三五八円で合計四億一二五八万九八七〇円となっているが、時価は単価四五五〇円で合計三億五〇三五万円となり、国税局調査額の方が高く評価されていて実際より不利益である、というのである。

しかしながら、所論の引用する参照条文や計算方法は、事業所得における有価証券の譲渡原価の算出等に適用されるものであって、雑所得である本件株式売買益の算出に援用するのは不適切である(ちなみに、所論の方式による場合であっても、「期首在高と期中買入高を合算したものから期末在高を差し引いたもの」が「期中売却高」に対応する原価となるのであって、後者から前者を差し引いて売買益を算出する関係で計算式の上では「期末在高」はプラス要因になるけれども、それが「売買益に加算される」という表現は適切でない。それは、売買益算出の原価を構成しないため、原価から除外されているに過ぎないのである。)。

すなわち、雑所得における有価証券の譲渡原価の算出については、所得税法四八条三項、同法施行令一一八条、一〇五条一項一号が適用されるのであって、これによれば、期中において有価証券の譲渡がなされた場合は、その都度、当該有価証券を最初に取得した時(既に譲渡がなされているときは、直前の譲渡の時)から当該譲渡の時までの期間を基礎として、その期間の当初に有していた当該有価証券及びその期間内に取得した当該有価証券につき総平均法に準ずる方法で算出した単価により計算した金額を必要経費として収入金額から差し引くこととなるのであるから、所論期末在高は、翌年分の期首在高を確定するのに役立つのみであって、当該年分の有価証券の譲渡原価の算出とはまったく無関係なのである。

また、所論は、本来ならば平成元年の期首在高として同年分の取得原価となるはずの昭和六三年の期末在高は、その機会が与えられずに昭和六三年期末在高として同年分の株式売買益に加算されたままに終わっており、継続している投資取引を人為的に分断して課税上の所得計算をしたことによる矛盾がこのような形で現れているとも主張するけれども、右主張がその前提において誤りであることは、右に説示したところからおのずと明らかである。

2  なお、所論は、本件株式売買益を、総平均法によらず個別法によって計算すると三年分で合計約二四億円となり、国税局調査額の約二九億円は、五億円過大となっている事情も、本件の情状として十分酌量されるべきである、という。

しかし、課税所得は租税法規によって定められた方法で算出され、これを基礎として税額が決定されるのであるから、租税逋脱犯につき、これと異なる方法によって算出した課税所得を前提として情状を論ずるのは、法規に従って課税所得を算出し、これによって税額を納付している他の納税者に対する関係においても公平を失することが明らかであり、所論にはにわかに賛し難い。

五  まとめ

以上のとおり、量刑の事情に関する事実誤認等をいう所論は、いずれも採るを得ない。

第二  量刑不当の主張について

一  本件事案の概要等

1  原判決は、罪となるべき事実として、公訴事実と同旨の事実を認定したが、その概要は、以下に摘示するとおりである。

被告人は、昭和四四年以来衆議院議員に連続当選してその地位にあったが、以前から証券会社を通して株式等の売買を行なっており、また、大量の株式を扱う仕手筋の人物を知ったことから、同人と直接取引を行なって、同六一年から多額の利益を得るようになったところ、株式等の取引による所得に関し所得税を免れるため、取引を自己の親族や秘書等の多数の名義で行い、株式等の取引による所得については所得税の申告に当たって一切申告しないなどした上、

(第一)  昭和六一年分の実際総所得金額が二億九五二四万八九八三円であったにもかかわらず、総所得金額が一八一五万四五四〇円で、これに対する所得税額は源泉徴収税額を控除すると三二万九〇九二円の還付を受けることとなる旨の虚偽の所得税確定申告書を所轄税務署に提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額一億八七三六万六〇〇〇円と右申告税額との差額一億八七六九万五〇〇〇円を免れ、

(第二)  昭和六二年分の実際総所得金額が一七億一六二三万四七九九円であったにもかかわらず、総所得金額が二〇八〇万七八九七円で、これに対する所得税額は源泉徴収税額を控除すると一八一万〇九七九円の還付を受けることとなる旨の虚偽の所得税確定申告書を所轄税務署に提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額一〇億一一二六万五〇〇〇円と右申告税額との差額一〇億一三〇七万五九〇〇円を免れ、

(第三)  昭和六三年分の実際総所得金額が八億六九三八万二三四四円であったにもかかわらず、総所得金額が二七六八万三六四九円で、これに対する所得税額は源泉徴収税額を控除すると二七〇万三三〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を所轄税務署に提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額五億〇四八〇万七二〇〇円と右申告税額との差額五億〇二一〇万三九〇〇円を免れ

たものである。

2 原審検察官は、右事実につき、被告人を懲役三年六月及び罰金五億円に処すべき旨を求刑した。これに対し、原裁判所は「被告人を懲役三年四月に処する」旨を宣告し、罰金刑の言渡しをしなかった。

右判決に対し、当事者双方は控訴を申し立て、検察官は、右懲役刑に罰金刑を併科しなかった点において原判決はその量刑軽きに失し、不当であると主張し、弁護人は、原判決の言い渡した懲役刑は、刑期の点において重過ぎるほか、これに執行猶予を付さなかった点において刑政の目的に反するものとも考えられ、その量刑は重過ぎて不当であると主張する。

そこで、各論旨につき以下に検討する。

二 罰金刑併科の趣旨

罰金刑は、一定の金額の剥奪を内容とする財産刑であって、主刑の一種であり、附加刑である没収・追徴のように、不法利益の剥奪を本来の目的とするものでないことは、検察官の所論のとおりである。そのことは、法定刑として罰金刑のみが定められているか、選択刑として罰金刑が定められている比較的軽微な罪、殊に過失犯の例をみれば明らかである。

また、罰金刑は、利欲的・営利的犯罪について、必要的又は選択的に懲役刑と併科されることがある(必要的な場合として、刑法二五六条二項の臓物故買罪等。選択的な場合として、営利の目的による各種薬物犯罪や直接国税逋脱犯等)。その趣旨とするところは、犯人から相応の金額を剥奪することにより、不法利益の取得を目的とする犯罪行為が経済的に引き合わないことを強く感銘させる点にあるものと解されており、当裁判所も、そのような理解が妥当なものと考える。この場合には、不法利益という観念が関係してくるけれども、右の立法趣旨から明らかなように、不法利益そのものの剥奪が罰金刑の主たる目的ではなく、不法利益を獲得しようとする犯罪行為の無益なことを犯人及び世人に悟らせる点に主眼があるのである。そのことからは、(a)犯人が当該犯罪行為によって現実に不法利益を取得したか、取得した不法利益が犯人の手元に現存するかは、罰金刑併科の可否ないし当否とは直接関係ないこと(たまたま犯人の手元に不法利益が現存し、これが剥奪される結果を生じても、それは罰金刑併科の副次的効果に過ぎない。)、(b)罰金刑の感銘力を効果あらしめるためには、犯人が、当該犯罪行為によって取得しようとした、又は実際に取得した不法利益の金額の多寡を罰金額に反映させる必要のあること、(c)また、同額の罰金でも、これを納付する者の経済的状態によりその受ける苦痛が一様ではないことから、罰金額の決定に際しては、犯人の資力如何を無視できないけれども、逆に、犯人が無資力であることの故をもって罰金の科刑を免れ得るものでないことは、労役場留置の処分が定められていることからも明らかであり、罰金刑併科の趣旨が犯人の手元に現存する利益の剥奪を目的とするものでない以上、裁判時における犯人の資力の点を過大に考慮することはその立法趣旨を損なう結果を招くこと、などの考察が導かれる。

三 直接国税逋脱犯に対する科刑

1 租税とは、国家の財政需要資金の調達を目的として、直接の反対給付なしに、強制的に、私人の手から国家の手に富を移転させるものであり、国民は、憲法上納税の義務を負わされているのであるから、租税負担は、法律の定めるところにより、国民の担税力に応じて公平に分配されなければならない。租税法律主義と租税公平主義とは、租税法全体を貫く基本原則である。同一の担税力を有する者には同一の租税負担を課すのが原則であって、租税法規に定められた事由以外の個人的事情によって租税負担が加重減免されることはない。

租税賦課及び執行の手続におけるこの要請は、租税逋脱犯に対する量刑の場においても、できる限り尊重すべきものである。もとより、刑の量定においては、犯罪そのものに属する情状、すなわち罪質、犯行の動機、態様、被害の大小、期間、回数等のほか、犯人の性格、年齢、境遇その他の個人的事情、犯罪後の情状等を総合的に判断して決すべきものであるが、個人的事情の如何を問わず租税法規上同一の担税力を認められて同一の課税がなされた者につき、これを逋脱した場合の刑罰がその個人的事情によって極端に区々になることは、租税公平の原則を乱し、納税者の納税意欲を阻害する結果を招く虞なしとしない。したがって、租税逋脱犯に対しては、国家の側からみれば租税債権侵害の程度、納税者の側からみれば納税義務違反の程度、換言すれば、逋脱金額の大小に比例した量刑がなされることの重要性を無視することはできない。これは、直接国税逋脱犯に対する自由刑についてもいえることであるが、殊にこれに対する罰金刑については、前記二(b)に説示した趣旨からも一層その要請が強いものといえるのであって、そのことは、逋脱金額が法定の罰金刑の多額を超過した場合、これを逋脱金額以下にまでスライドさせることが認められていること(所得税法二三八条二項、法人税法一五九条二項等参照)からも、十分窺い知ることができるのである。

2  また、直接国税逋脱犯については、未遂罪の処罰規定がないことから、これを処罰すべき場合は常に逋脱の結果が発生している(したがって犯人が同額を利得している)点にも留意しなければならない。さきに利欲的・営利的犯罪に対する罰金刑併科の趣旨について論じたとおり、この種の犯罪については、たとえ現実の利得がなかったとしても罰金刑併科の必要が認められるのであるが、直接国税逋脱犯のように現実に利得をしている場合には一層その必要が強いものということができる。

3  直接国税を逋脱した場合には、逋脱にかかる本税のほか、延滞税(国税通則法六〇条)及び地方税が課せられるのは当然であるが、課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実についての仮装・隠蔽行為を伴う場合には、更に逋脱犯の三五パーセント又は四〇パーセントの重加算税が課せられることとなる(同法六八条)。右重加算税は、行政上の制裁であって、刑罰とは趣旨、性質を異にするから、重加算税が課せられたからといって罰金刑併科の必要が失われるものではなく、また、罰金刑を併科することが二重処罰(憲法三九条)に当たるものでないことも明白である(最高裁昭和四五年九月一一日第二小法廷判決・刑集二四巻一〇号一三三三頁参照)。

4  ここで、納税義務者自身が行為者である場合における所得税逋脱犯に対する従前の科刑の実情を通観するに、概ね逋脱額の大小に見合う懲役刑が科せられているほか、殆ど例外なく逋脱額の一定割合(平均的には二〇パーセント強であり、ここには、前記重加算税と相俟って被告人の金銭的負担が余りにも過大となることのないようにとの配慮が窺われる。)の罰金刑が併科されるという運用が確立されていることは、当裁判所に顕著な事実である。このような運用の実情は、右に披瀝した当裁判所の見解(前記二及び三の1ないし3参照)とも合致するものであって、十分尊重すべきであり、事案の具体的内容に照らし、特段の合理的事由の認められない限り、これに反する量刑は相当性を欠くものというべきである。

そこで、次に、本件の具体的情状及び原判決が被告人に罰金刑を併科しない理由として掲げる事項が特段の合理性を有するものであるか否かについて検討することとする。

四 本件の具体的情状

1  本件は、納税義務者自身による所得税逋脱の事案であるところ、犯行は昭和六一年から同六三年までの三年分にかかるものであり、その逋脱額は合計一七億〇二八七万四八〇〇円の巨額に達している。被告人の株式等の取引による売買益は、三年分合計で二八億一四一一万一五〇六円となり、この間の総所得金額二八億八〇八六万六一二六円の約97.7パーセントを占めているが、被告人はそのすべてを申告から除外しているのであって、所得税の逋脱率は九七パーセント台から九九パーセント台の高率を示している。

2  被告人は、昭和四四年以降衆議院議員に連続当選し、本件犯行期間中の昭和六一年七月から同六二年一一月には国務大臣として環境庁長官の職にあったものであり、立法府・行政府の枢要な地位にありながら巨額の脱税に及んだ責任は重大である。しかも、被告人は、昭和五二年一一月から同五三年一二月までの間は大蔵政務次官を勤め、納税の重要性について十分自覚していたばかりか、同五八年に出版した著書「熱き涙/節度ある自由」の中に「私の租税論」と題する一項を設け、「税金納付は国民の義務である。にもかかわらず、新聞等には義務回避の行為が報じられている。納税意識の欠如が見られるのは残念でならない」、「我が国の納税は、自主申告納税制度を基本的にとっており、税金問題に関しての社会的規制、制裁は、先進諸国と比べると厳しさに欠ける」、「正直者が損をし、税に対する不信感を増大させ、勤勉な納税意識を消失させてはならない」などと述べているのであって、本件犯行は、被告人のこの所信をも裏切るものである。

3  弁護人は、本件脱税の動機は将来の政治資金の確保にあったと主張するが、この点については既に第一の一で詳論したとおりであり、本件犯行の動機に格段に酌むべきものがあるとは認められない。

4  所得秘匿の方法は、株式取引を多数の名義に分散して自己の取引であることを秘匿し、併せて課税要件の潜脱を図るというもので、非課税限度枠の設定されていた当時の税制の下では常套的手段ともみられるが、これにより課税所得の補捉を著しく困難ならしめる結果を生ずるから、悪質との評価は免れない(なお、弁護人の所論については第一の二の1参照)。しかも、被告人はこれらの所得秘匿工作を秘書に任せることなく、みずから実行しているのである。

5  資産形成の方法は、たとえそこに非難されるべきものがあったとしても、課税所得に対する正規の納税がなされている限り税法上非難の対象とならないこととの対比においては、直ちに逋脱犯の犯情を重からしめるものとはいい難い。しかし、被告人は、国会議員であり、かつ、環境庁長官の地位にありながら、多忙な公務を割いて、自ら極めて頻繁かつ大量に(各年分とも、年間三〇〇回を優に超え、株数も約一五〇〇万株から約二八〇〇万株に及ぶ。)株式取引を行い(しかも、市場における現物・信用取引のほか、仕手筋からの内部情報に基づく反社会性の強い相対売買を含む。)、巨利を得ていたものであり、これらの事実が、その地位にふさわしくないものとして、選挙民に発覚することを極度に恐れていたことは、当初から脱税の犯意が強固なものであったことを裏付けるものということができ、その意味では情状を重くするものと評価すべきである。

6  更に、被告人が、周囲の状況から、国税当局に右株式取引について明らかにすることを余儀なくされた後も、その一部を政治団体の取引と主張したり、個人の取引と認められたものについても、堀越秘書の名義による期限後申告に拘泥し、これを押し通していることも(前記第一の二、三参照)、本件蓄財行為が選挙民に到底容認されない性質のものであることを自覚していた証左であり、あくまで自己の所得であることを秘匿し続けようとしている点において、犯行後の情状も不良というべきである。

7  被告人は、税額を完納しておらず、租税債権に対する侵害はいまだに回復されていない。すなわち、原審当時、被告人は、逋脱にかかる所得税本税一七億〇二八七万四八〇〇円のうち、約61.5パーセントに当たる約一〇億四七八六万円(原判決中「約一〇億四七三七万円」とあるのは、原審証人堀越洋七の証言時の誤りによる。)を納付していたのであるが、当審における事実取調べの結果によれば、平成五年九月二一日現在、(a)所得税本税として約93.5パーセントに当たる一五億九二二九万三五三三円が納付され、一億一〇五八万一二六七円が未納となっているほか、重加算税五億八六五九万九五〇〇円が全額未納、同日までの延滞税三億一〇七三万五二〇〇円のうち一億六四三〇万七八〇〇円が納付され、一億四六四二万七四〇〇円が未納となっており、結局、納付すべき税額二六億〇〇二〇万九五〇〇円のうち、一七億五六六〇万一三三三円が納付され、八億四三六〇万八一六七円が未納であること、(b)市県民税本税四億三一九五万二一〇〇円のうち、52.8パーセントに当たる二億二八二〇万四三〇〇円が納付され、二億〇三七四万七八〇〇円が未納であるほか、同月二八日現在の延滞金が七五九一万五五〇〇円あることが認められる。このように、行政制裁である重加算税を除外しても、本税・延滞税(金)の未納があり、租税債権に対する侵害はなお完全には回復されていないのである。

8  他方、被告人に有利な事情としては、被告人は、(a)さきに説示したとおり、昭和四四年以降衆議院議員に連続八回当選して、その地位にあること二一年間に及び、また、昭和六一年七月から同六二年一一月までの間環境庁長官を勤めるなど、長期に亘り国政に貢献してきたものであること、(b)本件が発覚し、平成二年一二月二七日本件公訴が提起されるや、二週間も経ない翌三年一月八日、自ら決断して衆議院に議員辞職願いを提出し、同月一八日の院議で許可されており、多年に亘り築き上げた地位と将来の大成への希望を潔く放棄し、国民に詫びる姿勢を示していること、(c)公訴提起後は、その直後に急死した実母の葬儀にも出席せず、親族・知人の冠婚葬祭にも欠席するなど、ひたすら社会から隔絶し、いささか過剰とも見える程の謹慎生活を続けていること、(d)前示のとおり、重加算税全額を含め、依然として未納税額は残しているものの、これまでに国税・地方税合計一九億八四八〇万五六三三円を納付しており、これらの納付に当たっては、本件脱税にかかる株式売買益を再投資して取得した株式を処分したのは当然のことながら、父祖伝来の土地建物を売却したほか、バブル崩壊に伴うかなりのキャピタル・ロスを被りながらも、被告人及び関連会社所有の不動産はもとより、絵画・ゴルフ会員権から電話債権に至るまで、処分できるものは洗いざらい処分するなど、懸命の努力をしており、今後、国税当局に差し押さえられている東京都新宿区市ケ谷所在のマンションが処分されれば、所得税本税の未納分全額と重加算税のうち約一億円に充当できる見通しであること、などの事実が認められる。

五 原判決の量刑の当否

以上のような被告人に有利又は不利な諸事情を総合的に考察し、原審記録及び証拠物並びに当審における事実取調べの結果に現れたその余の一切の事情をも併せて検討すると、被告人の本件犯行については、相応の懲役刑及び罰金刑を併科するのが相当であるとの結論に到達する(なお、弁護人の所論にもかかわらず、懲役刑につき、その執行猶予を相当とする情状があるものとは認められない。)。

ところで、原判決は、罰金刑を併科しなかった理由について、「被告人は、いまだ本件脱税にかかる税金について多額の未納分があり、今後ともその納税をしなければならず、さらに数億円とも予想される重加算税等が課せられるのであって、それら納税を果たせば、被告人にはもはや見るべき財産は全く残らず、家族三人の生活を維持するのが困難な状態にさえ追込まれかねないのである。そうすると、被告人に懲役刑以外に本件脱税額に比例する多額の罰金刑を科するとすれば、それは、被告人に更に重い負担を課し、現在年齢五六歳を過ぎた被告人が今後その罰金を支払える可能性がどの程度あるか疑わしいにもかかわらず、懲役刑の終了後においても過重な負担を背負わせることになると考えられる。しかし、それは、却って被告人の将来の人生の再出発の妨げとなり、刑政の目的に反することでもあると考えられるので、被告人に対しては、懲役刑の刑期と併せ考慮して罰金刑を科さないこととする」と判示している。しかしながら、前記二及び三に説示した直接国税逋脱犯に対する罰金刑併科の一般的原則並びに前記四で検討した本件の具体的情状に照らしてみると、原判示事情の如きは、いまだもって罰金刑併科を不相当とするだけの特段の合理的理由とするに足りないものといわざるを得ない。

叙上の次第であって、被告人に対する懲役刑に罰金刑を併科しなかった原判決の量刑は寛に失して不当であり、破棄を免れない。検察官の論旨は理由がある。

よって、その余の弁護人の控訴趣意に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄することとし、同法四〇〇条但書に従い、被告事件につき更に次のとおり判決する。

第三  自判の裁判

原判決が認定した各事実(別紙修正損益計算書三通、脱税額計算書三通を含む。)は、いずれも所得税法二三八条一項(罰金の寡額は、刑法六条、一〇条により軽い行為時法である平成三年法律第三一号による改正前の罰金等臨時措置法二条による。)に該当するところ、いずれも所定刑中懲役刑と罰金刑を選択し、なお情状により右所得税法二三八条二項を適用して各罪についての罰金を免れた所得税の額に相当する金額以下とすることとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い原判示第二の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により各罪の罰金額を合算した刑期及び罰金額の範囲内で、被告人を懲役三年及び罰金三億円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金六〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官半谷恭一 裁判官森眞樹 裁判官浜井一夫)

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